二つの観音像が彫られた。一つは大阪から海へと流された。鎌倉長谷寺縁起

投稿日:2016年8月15日 更新日:

 

お盆の帰省中、鎌倉長谷寺に所縁のある方とお話しする機会を得ました。

鎌倉長谷寺の由来は奈良時代にさかのぼるとのことです。奈良県桜井市初瀬(はせ 古称はつせ)に長谷寺という同名の寺があり、そこで1本の巨木から2体の観音像が造られました。1体はご本尊に、そしてもう1体は海に流されたそうです。

小さいものではありません。9mを超える立像で、屋内に安置されたお姿を見上げると鎌倉大仏より大きく感じられるとのことですから人々に畏敬の念を抱かせるにふさわしい立派なものです。

観音菩薩は南方遥か彼方の海上にある浄土「補陀洛(ふだらく)」に住まわれているとされます。海に流すことで、浄土との接合を願ったものと思われます。

奈良県の長谷寺は大阪と三重のそれぞれの県境からほぼ中間の距離にあります。観音像は大阪湾、太平洋どちらから放たれたのかはわかりません。お話によると「大阪から」とされていたので、大阪湾からが有力なのかもしれません。いずれにしろ浄土への旅立ちの日、厳かな儀式が営われ多くの僧侶と檀家、門徒たちにより見送られたものと思われます。

鯨ほどもある大きな観音像はやがて黒潮に乗り、十数年後、三浦半島南西部の「初声(はっせ)」という場所に流れ着きました。「初瀬」から「初声」へ。偶然によるものか、後に関連付けられたのか、こちらも詳細は不明です。ともあれ、それが鎌倉に運ばれ東の長谷寺の御本尊となりました。

 

hasedera

 

お話をしてくださった方は、観音像を流したのは「衆生の救済を願ってのこと」と看破されていました。

浄土宗の重要な仏典とされる「無量寿経」には、阿弥陀の誓いが記されています。いくつかあるなかの一つに「浄土に行きたい(成仏したい)と願うすべての生き物の願いがかなわなければ正覚をとらじ(悟りを開かない)」とあります。それを法然は、阿弥陀はすでに悟りを開いているので、すべての生き物に成仏が約束されている、と捉えました。親鸞の思想の根本をなした「悪人正機」説もそこから見出されています。「衆生の救済」という言葉にそうした意味を込め、お話ししてくださったのだと思います。

奈良の長谷寺における、おそらく「浄土との一体化」が、鎌倉の長谷寺において「衆生の救済」へと変化した。放った側の願いと受け取った側の解釈に違いが生じているように見えます。とはいえ不幸な戦禍に見舞われた末法の時代にあって、はるか400年前に流れ着いた伝説の観音像はどれだけ民の救いとなったことでしょう。奈良から遠く離れた鎌倉の地に浄土「補陀洛」が作られる契機の一つとなったといってもよいかもしれません。その意味で西の願いと東の解釈は通底しているのです。

昔、友を亡くしたとき、がんの末期症状にあった彼を救う言葉を見つけることはできませんでした。歎異抄を読み、その斬新な哲学に肝銘したところで、それを説くのがいかに無意味であるかに気付き、ぐうの音も出ませんでした。

それでもいまだに阿弥陀の教えに惹かれるのはなぜでしょう。理由ははっきりとはわかりませんが「何かを信じ生き切るしかない」と阿弥陀を思うたびに諭してくれるからなのかもしれません。

浄土へ、浄土から。浄土の文字はたとえば「家族」に代えてもよいと思っています。

 

 

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sunnydayfunny

昭和半ば生まれのおじさんです。妻と娘と猫と金魚と東京西部にひっそり暮らしています。息子夫婦に孫娘ちゃんもいます。「くらしとこころにそらより」うるおいを降り注ぐ記事をめざしています。

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