Netflix「イカゲーム」登場人物の運命を古代ギリシャ哲学から読み解く

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このブログ記事はNetflixより配信されている韓国ドラマ「イカゲーム」シーズン1を考察したものです。シーズン1の第1話から第9話まですべてご覧になった方を対象としています。ご覧になる前に内容を知りたくない方はこの記事の閲覧を中止されることを強くお勧めします。

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なぜ青(緑)と赤なのか

物語では青(緑)と赤の2色が象徴的に用いられています。
たとえば主人公をこのゲームに誘い込むきっかけとして仕組まれた「メンコ」。彼は自ら「青」のメンコを選び、主催者側の一員であろう男の「赤」と戦います。
また離島で行われるゲームでは主人公などの参加者は青(緑)のスポーツウェアを着せられます。一方主催者側の要員はそろって赤のジャンプスーツです。
この意味は古代ギリシャ哲学の巨人のひとりアリストテレスの「4性質説」を用いるときれいに読み解くことができます。

アリストテレスの「4性質説」から

アリストテレスはそれまで世界を構成する4元素とされてきた「火」「空気」「水」「土」を状態として観察し、それを「熱」「冷」「乾」「湿」の4つの性質の組み合わせで説明しました。
つまり「火」は「熱・乾」、「空気」は「熱・湿」、「水」は「冷・湿」、「土」は「冷・乾」です(*1)。
ここで「イカゲーム」に戻り赤のジャンプスーツを思い出してください。赤は火の色です。しかも彼らは銃(火器)を使う。まさにゲーム遂行への激しい「熱」を持ち、情け容赦ない「乾」いたこころの集団です。
ちなみにこの「火」から「熱」を取り、「冷」に置き換えると「土」となります。「土」を黒色とした場合、メニューとして用意したプログラムを冷徹に実行する運営責任者:フロントマンのコスチュームの色と一致します。
一方、青(緑)のスポーツウェアは「水」に相当します。「水」により生命として存在できるのが多様な有機体の1つである人間であるわけですから、それを象徴するために青(緑)を用いることは極めて理にかなっています。
ちなみに「水」の「冷・湿」の「冷」を「熱」に変えると「空気」になります。ゲームの敗退者はみな火葬されました。「水」から「空気」へと転換されたのです。
ゲームの参加者である青(緑)=「水」=「冷・湿」と主催者側の赤=「火」=「熱・乾」はその性質においてまったく親和性を持ちません。青(緑)と赤という補色関係は「4性質説」においても対極の存在であることを象徴しているわけです。

錬金術において赤が象徴するものとは

ところで有史以前から受け継がれ中世において黄金期を迎えた錬金術においてもアリストテレスの「4性質説」が密接に関係しています。錬金術ではエーテルと呼ばれる物質の本来の姿に前述の2つの性質を組み合わせることで4元素が生まれるとされているのです。
この錬金術において究極のゴールが「賢者の石」の生成でした。「賢者の石」とは世界の根源である「宇宙霊魂」の個体としての象徴であり、最高位の存在です。そしてこの「賢者の石」を象徴する色が赤なのです(2)。
「イカゲーム」が富豪たちのおぞましき戯れとすれば、人生において大きな“負債”を抱えた参加者たちにとってその存在ははるか雲の上のものでしょう。ゲームの賞金である456億ウォン(約45億円)の獲得こそが金銭的に成功した賢者へと自らを変身させる“錬金術”であると見ることもできます。
ちなみに手塚治虫の描く「火の鳥」は「宇宙霊魂」の化身ではないかと思われます(3)。

「正義」と「不正」により別けられる登場人物

「イカゲーム」では賞金を獲得するために6つのゲームを勝ち抜かなくてはなりません。
それは以下の内容です。

第1のゲーム「だるまさんがころんだ(ムクゲの花が咲きました)」
第2のゲーム「お菓子の型抜き」
第3のゲーム「綱引き」
第4のゲーム「ビー玉」
第5のゲーム「ガラスの飛び石」
第6のゲーム「イカゲーム」

第1のゲームで敗者は銃によって殺されます。勝ち抜けば賞金、負ければ死が待ち受けていることを知った参加者たちは必然的に本性むき出しの熾烈な戦いを繰り広げざるを得ません。そこで明暗を分けることになるのが「正義」か「不正」かという人としてのあり様です。

ソクラテスが認める4つの人間タイプ

古代ギリシャ哲学のもう一人の巨人ソクラテスは「正義」と「不正」について、その特徴的な思考法である他者との対話により明らかにしています。
プラトンにより詳細が伝えられる書籍「国家」からは、集団においてそれはおよそ4つの人間タイプに分類できると解釈することが可能です。
すなわち

A:「正義の人間であり、かつ正義の評判を得る」者
ソクラテスによれば「名誉や褒美が与えられる」
B:「正義の人間であるが、正義の評判を得ない」者
ソクラテスによれば「へなへなにならないことでその正義が吟味される」
さらにアデイマントスによればそれは「苦労ばかりで一文の得にもならない」 
C:「不正な人間であるが、正義の評判を得る」者
アデイマントスによれば「至福の生活が得られる」
D:「不正な人間であり、かつ正義の評判を得ない」者
アデイマントスによれば「この世では数々の悪評を受け、冥界では苦行を強いられる」
(*4)

「イカゲーム」の登場人物はどのタイプか

ではゲームに参加した主人公を含む主要登場人物はどのタイプなのでしょうか。

主人公:ソン・ギフン(No.456)

明らかに「A:『正義の人間であり、かつ正義の評判を得る』者」でしょう。
第1話で語られる彼は善人そのものです。ゲームとその隔離生活においても多くのシーンで善人ぶりを発揮しますが、印象的であるのが「第2のゲーム『お菓子の型抜き』」において、最も難しい型の形状でありながら裏側を舐めるという技を発明し切り抜けようとするところです。これはほかの参加者に模倣され多くの命を救うこととなりました。
ソクラテスは「<正義>は知恵であり徳(優秀性)、<不正>は無知」と説きます(*4)。彼はまさにその体現者であったわけです。
正義の彼はお約束どおり最終勝者となり褒美を獲得します。

幼馴染の秀才:チョ・サンウ(No.218)

「C:『不正な人間であるが、正義の評判を得る』者」が「D:『不正な人間であり、かつ正義の評判を得ない』者へと転落した典型例です。
序盤知恵者として振る舞う彼は主人公にとって自慢の幼馴染ということもあり「正義」として位置づけられています。
しかし「第2のゲーム『お菓子の型抜き』」において、その内容を予見したにも関わらず、最も難しい形状を選ぶ主人公にそれを告げませんでした。ここから「不正」の正体が徐々に明らかにされていきます。
「第3のゲーム『綱引き』」では「3歩進む」という技を急遽思いつき「正義」となりますが、対戦相手にとってはだまし討ちであり「不正」の存在です。
そして「第4のゲーム『ビー玉』」で彼は正体を現します。パキスタンからの人の好い出稼ぎ労働者を騙しビー玉をすべて奪い取ってしまいます。ただ、これは他者には知られずに実行されたため、この時点ではまだ「正義の評判」が毀損されることはありませんでした。
しかし「第5のゲーム『ガラスの飛び石』」で彼はガラス職人を突き飛ばし、自らのゴールを手に入れます。これはこの時点での勝者である主人公と脱北女性のふたりの目の前で行われた愚行であり、彼が「不正」であることがいよいよここに露見します。
さらに彼は手負いとなった脱北女性を殺害します。「正義」と信じていたのに騙されていたことを知った主人公は怒りに震えながら「第6のゲーム『イカゲーム』」へと進みます。
幼馴染の秀才は一般的な価値観においてはその詐術によって「至福の生活が得られる」はずでした。しかしその本性がバレたことによって正真正銘の善により断罪される運命へと転げ落ちてしまいます。
しかし、この物語の優れて魅力的なところはただ敗者になるのではないということです。それについては後に言及したいと思います。

暴力と欺瞞の男:チャン・ドクス(No.101)口先女:ハン・ミニョ(No.212)

この二人はどちらも「D:『不正な人間であり、かつ正義の評判を得ない』者」です。
ソクラテスは説きます。
「<不正>はお互いのあいだに不和と憎しみと戦いをつくり出し、<正義>は協調と友愛をつくり出すもの」と(*4)。
「綱引き」で仲間から外され恨みを持っていた女が、「第5のゲーム『ガラスの飛び石』」で男に抱き着き、そのまま転落するシーンはまさにそれを象徴するものといえるでしょう。

脱北女性:カン・セビョク(No.067)DV被害女性:ジヨン(No.240)

ともに「B:『正義の人間であるが、正義の評判を得ない』者」です。
どちらも「苦労ばかりで一文の得にもならない」運命を背負っていますが、ただ「家族愛」に恵まれているか否かによってその明暗が分かれました。そのポイントは前述のソクラテスによる「へなへなにならないことでその正義が吟味される」にあります。
DV被害女性は父の暴力、それによる母の死、復讐としての父親殺しへと歩んでしまいます。そのへなへなになった姿は参加者としての彼女の態度に現れていました。
一方脱北女性は母と弟への家族愛が「正義」への執着を支えます。悲しいかな吟味の途中で命を落としてしまいますが、最終勝者となることで「正義の評判を得る」ことは可能でした。それはDV被害女性の願いでもあったわけで、ふたりが決することになった「第4のゲーム『ビー玉』」が強い悲しみをもたらした所以です。

出稼労働者:アリ・アブドゥル(No.199)

彼もまた「B:『正義の人間であるが、正義の評判を得ない』者」でした。
「第1のゲーム『だるまさんがころんだ』」で彼は転げそうになった主人公を後ろから掴み支えることで命を救います。しかしこちらもまた「苦労ばかりで一文の得にもならない」運命により、仲間と信じていた主人公の幼馴染の秀才に騙され命を落としてしまいます。
「正義」が悪知恵に長けた「不正」になんなく貶められる様子は「オレオレ詐欺」に通じるものがあり、現代社会の最も一般的な例といえるでしょう。

脳腫瘍の老人:オ・イルナム(No.001)

この老人もまた「B:『正義の人間であるが、正義の評判を得ない』者」のようですが、最後の参加ゲームとなった「第4のゲーム『ビー玉』」で意外な側面を露わにします。勝利まであと一歩のところで認知症を演じたかと思えば、そこを突いて騙した主人公の「不正」を質したのです。この点において老人は「正義の評判を求めない、真の正義」であるように思えます。それはソクラテスの別の言葉からそう推察できるのですが、こちらは最終章で明らかにします。
ただこの「真の正義」と思われた老人がじつはゲームの主催者であったという矛盾が物語の憎らしいまでの味わい深さとなっていることは誰もが認めるところでしょう。
またこの二人の間で露見した主人公の一瞬の「不正」は、勝者となった彼を廃人にしてしまいます。本来「A:『正義の人間であり、かつ正義の評判を得る』者」でなくてはならない主人公の苦悩の深さもまた見どころといえるでしょう。

なぜ彼は自ら死を選んだのか

「第6のゲーム『イカゲーム』」では、いよいよ主人公と幼馴染の秀才による死闘が繰り広げられます。
主人公が怒りに任せ最後の一撃を与えると思われた場面で手にしていたナイフは首のすぐ横の地面に突き刺さります。そして主人公は参加者の半分以上が求めればゲームは終了できるというルールをこの場で実行しようとします。しかし幼馴染の秀才である彼は地面のナイフを手に自分を刺し、死によって勝者を明らかにすることでゲームを終了させたのでした。
なぜ彼は自ら死を選んだのでしょう。
ソクラテスならこう解説するでしょう。
「(不正が一個人の内にある場合)その人間をして、自分自身との内的な不和・不一致のために事を行うことを不可能にさせ、さらに自己自身に対しても正しい者に対しても敵たらしめる」(*4)
すなわち主人公による友人の命を救うための善行を眼の当たりにした彼はここでようやく自身の「正義」と「不和」の二重人格に気づき、自分こそがいま戦うべき最大の敵であることに気づいたのです。
自死は真の正義を獲得するための最期の手段であったわけです。

人はなんのために生きるのか

最後にもう一つソクラテスの言葉をご紹介します。これは老人についての宿題である、なぜ「正義の評判を求めない」ことが「真の正義」につながるのかの答えでもあります。
日本では「ソクラテスの弁明」と併せて1冊に書籍化されている「クリトン」での言葉。

「一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである」(*5)

「正義」と「不正」について幾度も問うてきたソクラテスの信念がここに込められています。他者からどう見えるのかではなく、自分にとってどうあるべきなのか。その答えがここに示されています。

主人公と老人が賭けをするシーン。雪の降る凍えた路上で死にかけている人を一度は通り過ぎた人物が警察官を伴い戻ってきました。「善く生きる」人がそこにいました。それは赤髪に染め再生した主人公がゲームの主催者と対決するであろうシーズン2へと進むための気づきであったはずです。

「イカゲーム」を観て、その背景にアリストテレス、ソクラテスがあるのではないか、という推測が生まれました。そして彼らの哲学と照らし合わせたところ想像以上に符合する点が見つかりました。
他人を騙し、傷つけ、蹴落とし生き残る残虐なデスゲームを装っていますが、じつは人が生きることの意味を問う物語です。これこそがこのドラマが世界中で大ヒットした最大の要因であるように思います。

 

参考書籍(スポンサーリンク)
*1:「哲学と宗教全史」出口治明著 ダイヤモンド社
*2:「錬金術――おおいなる神秘」アンドレーア・アロマティコ著 種村季弘監修 創元社
*3:「火の鳥(2)未来編」手塚治虫著 角川文庫
*4:「国家(上)」プラトン著 藤沢令夫訳 岩波文庫
*5:「ソクラテスの弁明 クリトン」プラトン著 久保勉訳 岩波文庫

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