帰りの電車で

投稿日:2017年3月21日 更新日:

 

「夏らしい雲」と彼女は言った。

ドラマの主人公がいかにも放ちそうな月並みな言葉だが、空気が一変したのは確かだった。

春を数週間先取りしたような陽気の3月。郊外を走る電車。彼女は途中駅で乗り込んできた。僕の隣のシートに腰かける寸前、車窓の向こうに広がる景色を見て、連れの男にそう声をかけたのだった。

本を読んでいた僕は、思わず顔を上げた。光る空が目に飛び込み、一瞬むせかえるような夏の熱気がよみがえった。彼女が夏を運んできたのだ。

 

spring_lover

 

二人は終えてきたばかりの商談を振り返りはじめた。「ああ、仕事仲間か」と納得した僕は、また本の世界に没入した。

つぎに耳を引いたのは連れの男の言葉だった。

男「群馬」
彼女「宇都宮?」
男「そう、宇都宮」

出身地を聞いたのだろう。

二人はきょう初めてペアを組んだに違いない。たぶん男はウソをついている。実際は宇都宮からさらに電車で1時間余り下った田舎かもしれない。地方出身者は故郷の場所を説明するのに最初からあきらめている。わかりやすい県庁所在地から始めたところで土地勘をもたない人間が迷路に入り込むのは必至だからだ。

彼女「私は町田」
男「都会だね」
彼女「町田が?初めて言われたワッ」
男「群馬から見たら都会だよ」

会話は途切れ、彼女が新しい話題を二人の間に置く。

「パケットが切れて、もういらいらする~」

スマホを振りながらつぶやく彼女に、男が食いつく。格安スマホを使っていることから自分より詳しいと見たのだろう。相談を持ち掛ける。

「スマホを変えてから会社のメールが受信できないんだよ」

男のスマホを手に取り、彼女は驚く。

「去年から届いてないじゃないですか」

どうやって仕事をしてきたのか、とあきれる。

なにやら説明しながら設定を直していくたびに男は「マジか」と声をかけ、すべてのメールが受信できたのだろう、最後に「マア~ジかあ」とテンションを上げた。

お堅い職場だった。「こんなオープンマインドな先輩います?」と彼女は好意をもって男を讃えた。

もうすぐターミナル駅に着く。彼女は「乗り換えは3分しかないですからね」と先輩に告げる。

電車がホームに滑り込むと彼女のスマホに電話が入る。コートと資料で両手がふさがっているため肩と頬で挟みながら話さなくてはならない。体にフィットした紺のスーツで身を固めた長身の先輩を先頭に、二人は開いたドアを出て行った。

彼女と男は、恋が始まったことにまだ気づいていない。

 

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sunnydayfunny

昭和半ば生まれのおじさんです。妻と娘と猫と金魚と東京西部にひっそり暮らしています。息子夫婦に孫娘ちゃんもいます。「くらしとこころにそらより」うるおいを降り注ぐ記事をめざしています。

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