龍宮城を知っている

投稿日:2017年3月8日 更新日:

 

僕の生まれた村のまえは海で、広い干潟があった。それは隣村まで続き干拓になっていた。

 

uminokioku

 

干拓といわれても、ぴんとこない人が多いだろう。干拓は、海に土を盛り、周囲を堤防で囲み、新たな陸地を生みだすものだ。水路を巡らせた隣村の干拓は一面の田んぼとなっていた。

干拓には実家の所有する田もあった。水路は深く、沿う作業路との境目をアシやガマが隠し、小さな子どもにはとても危険な場所だった。だから、たまにしか連れて行ってもらえなかったが、干拓の思い出は鮮明だ。

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あるとき叔父が「青いザリガニを見つけた」と教えてくれた。父といっしょに水門まで走り、のぞくと、そいつがいた。青なんておしとやかなものではない。コバルトブルーのザリガニだった。その日は網を持っていなかったので、後日叔父がつかまえてきてくれた。実家の庭の井戸の脇。たまりに放たれたそいつは僕をとても誇らしい気持ちにしてくれた。

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干拓を囲む堤防の頂上は道路となっていた。隣村から半楕円状に海に突きでた周囲を車でぐるっと周ることができた。陸地から干拓の先端までは1km以上はあっただろう。高い堤防から海を見ると、そこは干潟だ。道路は干潟に乗り入れ、初夏には潮干狩りの人でにぎわった。

沖合の雲一つない空から陽光が降りそそぎ、コンクリートの堤防は白くまぶしく光った。ところどころで干からびた貝や魚が磯独特の臭いを放っていた。潮干狩り場に下る短い坂の途中にはカキ氷の屋台がぽつんと立ち、鮮やかな氷旗を潮風にゆらしていた。

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僕の通う小学校はその干拓に接する陸地側にあった。そして年中行事の一つとして潮干狩り遠足が催されていた。6学年を二つに分け、2日間それぞれ丸一日使って行う一大行事だ。児童たちは家からどんなに大きな入れ物を持ってきてもよく、身の丈を忘れあさり採りをたのしんだ。丘を越えて帰る子は引きずらなければならず、破れた網からこぼれたあさりが通学路に散乱した。

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潮干狩り遠足は僕が2年生のときに終わった。高度成長期の工業地開発の波が干潟にまでおよび干拓もろとも埋め立てられることになったのだ。

最後の日。先生はたしか「この海をよく覚えておきなさい」と言ったように思う。そして僕は忘れられないものを見ることになった。

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ホイッスルが吹かれ、児童たちに終了が知らされる。あともう少しとダダをこねるわけにはいかない。満ち潮が始まり、うかうかしていると帰り路を失い、溺れ死んでしまう。

でも僕は干潟の砂地にできた潮溜まりに夢中になっていた。直径40~50cmほどの窪みである。そこにイソギンチャクがいた。小さなウミウシがいた。さまざまな海藻が揺れていた。緑、紫、ピンク、紺、黄色。鮮やかに彩られた水のなかの宮殿、あるいは宝石箱か。数匹の小魚がツー、ツーと泳いでいた。

「あ、龍宮城だ」

僕は一瞬で悟った。もう二度と出会えない。しっかり覚えておこうとその小さな世界を凝視していた。

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あの干拓の風景はやがて人々の記憶から消えるだろう。なんだかそれはとても惜しい気がするので、きょうこうして記してみた。あまり意味のないことかもしれないが、それならそれでしかたがないと思っている。

 

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sunnydayfunny

昭和半ば生まれのおじさんです。妻と娘と猫と金魚と東京西部にひっそり暮らしています。息子夫婦に孫娘ちゃんもいます。「くらしとこころにそらより」うるおいを降り注ぐ記事をめざしています。

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