少年たちの神となったヤマカガシ

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僕はヘビが苦手です。あのヌメっとした棒がくねくねと前へ進む異様な姿に怖気を覚えます。しかしドジョウやウナギはぜんぜん平気なので、やはり子どものころの教えがその後のヘビ嫌いを育てたのだと思います。

 

yamakagashi

 

故郷の村は、二つにわかれた集落の中央を小川が流れ、小規模な棚田が広がっていました。水田にはカエルがたくさんいて、ヘビもそれなりに生息していました。

自転車を走らせれば藪から突然道を横断しはじめ、ブレーキをかける間もなく踏み抜く(ヘビはぜんぜん平気)。友だちの家に遊びに行こうと田んぼのあぜを近道すれば、段差の上にかけた手で日向ぼっこの太い腹をつかむ(そのままダッシュで掛け去る)。一歩家の外に出れば、いやがおうにもヘビに遭遇してしまう環境でした。

そのため危険なヘビの特徴を繰り返し教えられました。赤い模様のあるカラフルなヤツ(ヤマカガシ)。茶色い模様が浮き出ているヤツ(マムシ)。それらに出会ったらぜったい近づいてはいけない。すぐにその場を立ち去ること。本当かどうかはわかりませんが、すごい速度で追いかけてくる。大人はそれを退治すると、わざわざ見せに持ってきました。そして村の誰誰がこれに噛まれて死んだだのと恐怖を植えつけるのでした。

ある日、友だちと遊んでいると憎っくきヤマカガシの死体をみつけました。動かないし、こちらは多勢だし、ということで僕らはその死んだヤマカガシをいたぶりました。畜生にも劣る餓鬼とはよくいったもので、仏教の指摘する境地のとおり、道の真ん中でこころない遊びにふけっていました。

そこにガキ大将が通りかかります。年齢は四つか五つ上だったと思います。体格も度胸もズバ抜けた、僕らの世代のドンでした。

彼はのちに中学校の生徒会長になります。選挙運動のポスターに、当時はやったCMを真似て「○○に投票してハワイへ行こう!」と書き記しました。親が「本当に当選したらどうするのだ」と尋ねると「連れて行くとは書いてない、勝手に行けばいい」と説明したといいます。それほど肝の据わった人間でした。

彼は僕らを見て「なんてかわいそうなことをするのだ」といさめました。僕らはすっかり肝をつぶし黙って立ち尽くします。そして棒の先に死んだヘビをぶら下げ、ガキ大将に促されるがまま、そのあとをうなだれてついていきました。近くのブロック塀までくると、ヘビをその上に載せろと命じます。しっかり安置されたのを見届けると、彼はおもむろにブロック塀の後ろに回り、身を隠しました。そして死んだヘビの天の声を演じました。

たぶん「死んだ者は悪さはしない」「それをどうしてさらに痛めつけようとするのだ」「人はだれでも悪いことをしてしまうことがある」「おまえたちが同じことをされたらどんな気持ちだ」と、そんなことを言ったのだと思います。僕らは罰として1週間毎日そのヘビにお花を捧げることを約束させられました。

僕は祖母の花壇から花を拝借し、あるいは道端に咲く野の花を摘み、死んだヘビに供えました。ただお参りを完遂し、ガキ大将ことヘビの声に許された記憶はなく、2度目か3度目の頃には死骸は消えてなくなっていました。それでも僕らのこころにはヤマカガシという悪者も尊ぶべき存在であるという正義が刻まれたのでした。

あのガキ大将は数年前老境を迎える前に他界しました。草刈りに出た田んぼでヘビを見ることはまずありません。時代は変わり、それぞれが運命の地へと旅立っていきました。

先日、少年がヤマカガシに噛まれ一時重体に陥ったというニュースがありました。あの頃の僕らとは異なりきっと可愛がろうとしたのでしょう。優しい少年に、僕はふと、あのヤマカガシ様のことを思い出しました。

 

 

 

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sunnydayfunny

昭和半ば生まれのおじさんです。妻と娘と猫と金魚と東京西部にひっそり暮らしています。息子夫婦に孫娘ちゃんもいます。「くらしとこころにそらより」うるおいを降り注ぐ記事をめざしています。

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