失われる「暗黙知」
仕事の現場において優れた能力を発揮するひとは、ほかのひととどこが異なるのでしょう。
きっとその能力は、AIがディープラーニングで高度な判断力を獲得しているように(例えが逆ですが)、そのひとがこれまでの人生で得たたくさんのよい情報とよい経験によって独自に築かれたものと思われます。
僕がかつて関わっていたプロジェクトでは、これを「暗黙知」と呼んでいました。
ある集団において、一人の人物が離脱すると、一つの「暗黙知」が失われます。それが集団にとって価値があり、代えがたいものであるほど痛手は大きい。
かつて日本において団塊世代の一斉退職が問題視されたことがありました。定年延長制度によってその衝撃度はいくぶん弱まったものの、いまもじわじわと“現場”に影響を与えているものと考えられます。
すなわち「暗黙知」の喪失です。
弱体化する現場力
その原因を確認したわけではないので、あくまで憶測として捉えてください。
[1]群馬県上野村でヘリコプターが墜落しました。何らかの部品が落下した直後、という目撃談が報道されています。
[2]水族館の目玉である巨大水槽でほとんどの魚が酸欠死しました。酸素供給を併せて行っていたフンの除去装置を止めたからだそうです。
[3]強風とともに仮設の足場が崩れ、倒れるケースが頻発するようになりました。
[4]大手ゼネコンの関わる橋脚工事で桁をかけ損ねるという事故がここ数年で複数回発生しています。
整備の現場で、メンテナンスの現場で、建設土木の現場で、なにか重要なスキルが消失しているのではないでしょうか。「ハインリッヒの法則」が指摘する有名な300回のヒヤリ・ハットが、誰か要となるひとの「暗黙知」によって、極めて少なく抑えられていたものが、歯止めを失ったことによる必然の事故のように思えます。
可視化と標準化
コピーライターとしてのキャリアの終盤に、僕は暗黙知の可視化、およびその標準化に取り組んでいました。
ある企業は、成長を支えてきた“人財(ヒューマン・キャピタル)”の流出を恐れていました。
優れた人材(コア人材)はプロジェクトの要となり、それが軌道に乗ると新たなプロジェクトを立ち上げ、回していく。仕事は一人に集中しがちです。ほかの者が学ぶべき機会がはからずも失われ、経営の重要な資源がブラックボックス化されてしまいます。そうなると、一人の退職によって事業の存続さえ危うくなる状況に陥りかねません。
社内コンペの開催と文書化
そこでその企業はプロジェクトの成果を競う社内コンペを開きました。利益と協働、イノベーションなどが評価の基準となりました。賢明であったのは、それにとどまらず優秀と認めれたプロジェクトの詳細を文書化し「どんな仕事が評価されるのか」を社内で共有しようとしたことです。コアコンピタンスの具現者の働き方を示し、継承しようとしました。
僕はこの段階で参加し、複数の部署の経験がある一人の中堅社員とマンツーマンで課題に取り組みました。
文書化のステップ
そのステップは大きく三つにわけられます。
1.プロジェクトのコア人材へのインタビュー
2.ブレイクスルーの成功要因の解明
3.ほかの案件にも応用できる発想ポイントの抽出
求められたのは2まででした。しかし僕らが重視したのは3でした。この案件だから可能だった、と逃げ道を作らせない、誰もが自分の仕事で実践できるハンドブックをめざしたのです。
たとえば累損に悩むある事業は営業売り上げ増大とコスト削減に取り組みました。その対策として営業の仕事を切り分け再構築したほか、すべて業務をコスト削減の視点で設計しなおしました。そこにはところどころにブレイクスルーのアイデアが光っていました。
「KJ法」による法則化
僕らはそれらから共通項を見出し、一定の法則を導こうとしました。
分析の方法として主に活用したのは「KJ法」と呼ばれるブレーンストーミングのまとめ術でした。
具体的にはつぎの作業を行いました。
1.プロジェクトの目的と取り組みを整理し、ブレイクスルー時に発生した事象をフレーズ化します。
2. フレーズをカード(コピー用紙を切ったもの)に書き、ホワイトボードにマグネットで貼っていきます。
3.発想の出発点や施策を施したフィールドなどをグループ化します。
誰でも使える標準化
そして見えてきたのが、つぎのことでした。
三つの切り口を発想の基本としていた
「広げる」「知る」「疑う」
三つのフィールドにその発想を適用し、施策のヒントを得ていた
「プロセス」「プロダクト」「プライス」
これだけではピンとこないかもしれませんが、特定の企業の事例なので、ここまでの記述が限界と思われます。お許しください。
コア人材の「暗黙知」は解析され、誰もが実践できるかたちで公開されました。結果は僕らも驚くほどその企業全体の現場社員にフィットするものでした。
おそらくこれがゴールではなく、さらにナレッジの活用を促進する学習と実践の場の提供が続けられるべきものでしょう。
さまざまな現場で、個人でも
僕が関わった“現場”と、現在問題が明るみになっていると思われる“現場”とは趣が異なります。
ただ、共通して言えるであろうことは「暗黙知」の消失は企業に重大な損失を与える可能性があり、それを回避するための継承は決して不可能なことではないということです。
あなたの会社では「暗黙知」の継承が行われていますか。
まだでしたら、あなた自身が取り組んでみてください。目標とする先輩の仕事をつぶさに観察し、話を聞き、KJ法であなたも実践できる法則を見いだせるかもしれません。
ヒヤリ・ハットの行きつく、最後の重大な1回をあなたが踏まないためにも「暗黙知」をぜひ受け継いでください。
コメント