自己愛の構造:しょってるひとは何を背負っているのだろう?
自惚れているひとを「しょってる」と言います。漢字で書くと「背負っている」。 若い方はもう口にしないようです。死語に近いのかもしれません。でも僕は今朝ふと疑問に思いました。 「いったい何を背負っているのだろう […]
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村上春樹の長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はプロットに特殊な仕掛けが施されています。ほとんどの方がお気づきでしょう。それは登場人物に色彩が割り当てられていることです。 ではその意味について考えてみたことは […]
このブログ記事は村上春樹著「騎士団長殺し」を考察したものです。第1部、第2部すべて読んだ方を対象としています。読む前に内容を知りたくない方はここで閲覧を中止されることを強くお勧めします。 またこの考察は一個人の見解であり […]
「即非の論理」の構造、宗教的背景などについては多くの方が解説をされておられるので、ここでは人生における具体的な実践方法(役立て方)として考えてみたいと思います。 まず即非を単純に […]
お盆の帰省中、鎌倉長谷寺に所縁のある方とお話しする機会を得ました。 鎌倉長谷寺の由来は奈良時代にさかのぼるとのことです。奈良県桜井市初瀬(はせ 古称はつせ)に長谷寺という同名の寺があり、そこで1本の巨木から […]