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「即非の理論」で眺めると僕たちの世界はとても生きやすくなる

sokuhiくらす
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「即非の論理」の構造、宗教的背景などについては多くの方が解説をされておられるので、ここでは人生における具体的な実践方法(役立て方)として考えてみたいと思います。

 

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まず即非を単純に表裏ととらえてみましょう。

たとえば手を見てください。甲と平、いまどちらをご覧になったでしょう。甲を見たのならそれが表、平が裏となります。逆に平を見たのなら、裏は甲です。どちらも同じ手ですが、偶然見たところが表になり、そうではないほうが裏になります。

「即非の理論」ではこれを「表即非表」と言います。厳密にいえば「非表」は「裏」ではないのですが、あまりに観念的すぎるので、ここでは「非表」=「裏」と可視化しておきます。

では僕たちが実際に遭遇し、人生における苦悩の出発点となりがちな言葉(概念)について「即非」を当てはめるとどうなるでしょう。

たとえば「常識」は「常識即非常識」となります。「常識」にとらわれがちですが、それは同時に「非常識」でもあるというわけです。

たとえば「行い」は「行即非行」となります。正しい「行い」は何かと考えがちですが、それは同時に社会が悪いことと捉えている「非行」と何ら変わらないということです。

たとえば「情」は「情即非情」となります。「情」にあふれた態度も、それは同時に冷たく「非情」な態度でもあるというわけです。

「非常識即非非常識」「非行即非非行」「非情即非非情」で逆もまた可です。

「即非」はすべての言葉(概念)に当てはめることができます。すなわち何が表であるか裏か、正しいとか間違いとかはないということです。僕たちは瞬間的にある一面をとらえているに過ぎず、すべてがつぎの瞬間には「即非」となり得る仮の姿でしかありません。

般若心経に「色即是空 空即是色」という文言があります。「実体は空疎であり 空疎に見えてもそこに実体がある」という意味です。

量子力学では物理的な実体は確率的な存在として説明されます。すなわち実体は「A(粒子のスピン)」であり、かつ「非A(粒子の逆スピン)」でもあるのです。

どちらも「即非の論理」と通じるものがあります。前者を「理論」、後者を「検証」とするとこれは再現可能な「科学」の法則として位置づけることもできるでしょう。

この世界のなりたちを「即非」でとらえると、人生のこだわりはなんと無意味であるかがわかります。一人ひとりが現実のものとして思い込んでいる苦しみは非現実の苦しみであることを、つねに頭のすみに置いておくとよいかもしれません。

僕たちは、つい忘れがちだけど、本当は、本当に自由なんです。

 

 

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