「さ」のつく言葉
日本語には古来より「さ」の神の宿る言葉があるとされています。
「さ」は一般に「五月」「早」と書き「若く瑞々しい」様子を表す接頭語(「大辞林」三省堂より)として用いられます。
たとえば
五月(さつき)。早苗(さなえ)。早乙女(さおとめ)。五月雨(さみだれ)。
また転じてつぎの言葉にも宿ります。
桜(さくら)、「さ」の神の暮らす木。
※日本一の桜の名所として知られる奈良・吉野にある金峯山寺管長五條良知氏は、いろいろ説はあるとしながらも桜は「早苗(さなえ/稲の神)が座(くら)しまします」木であると説きます(出典:NHKブラタモリ#238 2023年6月17日放送)
酒(さけ)、「さ」の神の気に満ちた飲み物。
海の幸山の幸(さち)、千の「さ」の神に満ちた食べ物。
いずれも生気に満ちた、あるいは生気を呼び起こすものが特徴です。
「さ」の神とは?
「さ」の神とはいったいなんでしょう。
この縁起を知ったのはNHK教育テレビです。Eテレなんてかっこいい呼び名が発明されるずっと以前、二十数年前の「趣味の講座」か何かの番組でした。
どこぞの大学の先生がホワイトボードを前にぼくとつと話されておられます。目を引いたのは、まずその容貌。仙人のような白ひげが不思議なオーラを放っていました。そして、何を語られているのか目を凝らし耳を傾けると、このお話でした。
結びにその所以を紐解くこともなく「不思議ですねえ」と微笑むだけでした。「みなさまもぜひ探してみてください」と話され番組は終わりました。しばらくその大学の先生のお名前を覚えていましたが、時の経過とともに忘れ、「さ」の神の宿る言葉だけが残りました。
花と日本人
後に文献として著されているものがないか探し、やっと見つけたのが民俗学者和歌森太郎氏の著書「花と日本人」でした。雑誌「草月」の連載をまとめたもので、昭和50年に単行本化されているようです。僕の手元にあるのは昭和57年に角川より発刊された文庫の初版本です。そこには、こう書かれています。
「五月五日の節句は、この時代まだ男児のそれではない。サツキとして、サナエをもって田に植える月、サオトメを中心にして、精進のための忌籠りの一夜を過ごすことに由来する節句であったから、どちらかといえば女性にとっての節句なのである」
「忌籠り(いみごもり) けがれにふれぬように身体を清め、家にこもり謹慎すること」
出典:「花と日本人」和歌森太郎 角川文庫(絶版)
日本の稲作文化に関連する穢れなき時、物、人に関係するものが「さ」の神のようです。ただここでも「サ」の部分に強調を示す「レ」のルビがふられるのみで、それを説明する文章は見当たりません。
以降、似たような説を唱える文章はこれだけであることから、たぶん僕がテレビで観た先生は和歌森太郎氏だったのではないかと思います。
「さ」は先を示す
さて、ここからは僕の推測です。
お正月、神棚に注連(しめ)縄を飾る際の正しい向きをご存じですか。
太く揃えられた部分が頭です。これは律令国家の権力構造がヒントになります。中央に天照大御神(皇室の祖神=天皇)と太政大臣(皇太子)がおわします。その左右に実務を取り仕切る左大臣と右大臣がある。古来、左大臣のほうが位が高いため注連(しめ)縄の頭は神棚から見て左(飾り付けるものから向かって右)に向けるのが正しいとされます。
(2024年11月16日追記)
これを補足する情報として次の記事を見つけました。
左大臣と右大臣の記述について:『古事類苑 官位部 1』p369-「令制官職3太政官上:太政官の長官を太政大臣、左大臣、右大臣と為し、是を三公と称す…左大臣は、太政大臣の下に居りて政務を執るものにて、之を一の上と称す。右大臣は左大臣と相並びて事を行うものにて、太政大臣あらざるときは、右大臣を以て一の上と称す」とあります。『日本史辞典』角川書店の右大臣の項に「太政大臣・左大臣に次ぐ、地位で以上を三公という。」とあり、左大臣の次であると書かれています。
天皇に次ぐ位として「関白」がいます。そして官僚組織のトップに「太政大臣」がいる。さらにその下に執行役員として「左大臣」「右大臣」がいた。ちなみに「左大臣」は「右大臣」よりも年上の者が起用されます。上役という理由には「相談役」的な役目も負っていたからなのかもしれません。
さて左大臣も「さ」がつくことを確認しました。この「さ」は何でしょう。これまでの事例から「先んずる者」と捉えることができる。「さ」は先(さき)を示すものではないでしょうか。時間経過の先頭にあることを示す「さ」であるがゆえに「瑞々しさの象徴」であり「年長者」となるわけです。
田植えに迎える「さ」の神
古事記では冒頭において神の系譜が語られます。「神世七代」の段でウヒヂニノカミからイザナミノカミが列挙される、その言葉の順列の意味を中公新書「古事記の起源」はこう説明しています。
「おそらくは、祭式の場面の描写である。たとえば、泥土(ヒヂニ)からは田植え直前の水を少し入れた田の泥土のありさまが連想され、その水田に杭(クヒ)を打ち込んで祭式用の仮の建物(祭殿)を建て、それが完成した(オモダル)ところでおそらくは巫女がその建物にこもって神(おそらくは稲の神か)を迎え入れ、「なんとまあ畏れ多いことだ(アヤカシコ)」という神迎えの祝詞を発し、さらにその神を建物の中に「さあ、どうぞ(イザ)」と迎え入れた、といった描写だったのかもしれない」
出典:「古事記の起源-新しい古代像をもとめて-」工藤隆 中公新書
神世の行事はまさに和歌森太郎氏がサツキ、サナエ、サオトメを登場させ論じた民間の「忌籠り」と一致します。
このことから古代の田植えに執り行われた儀式で迎え入れたのが「さ」の神様であったと考えることができます。食糧生産のまっ「先」に降臨する「さ」は豊穣あるいは生命の神なのではないでしょうか。
「さ」の神のなんともありがたいことか。謎解きも無事終えたところで、今夜は「刺身」を「肴」に「酒」でもいただくことにいたしますか。
神を迎える習慣
(2021年4月16日追記)
「神が宿る(アニミズム)」という発想以前に「神を迎える」という信仰があった。興味深い解説を発見しました。
「さ」の神も、まさに迎える神として誕生したものだったのですね。
無意志として起こる自然現象の「さ」
(2023年10月15日追記)
日本語における接頭語としての「さ」について興味深い記述を見つけました。
接頭語「さ」の付く動詞,形容詞については,状態を表す語と動作を表す語とに分け,「さ寝(ぬ)」「さ曇る」「さ遠し」「さまねし」など,意志性を持たない状態性の語では,その無意志性を「さ」が示すことを説明した。一方,「(年魚子(あゆこ)が)さ走る」「(きぎしが)さ踊る」などの,動作を表す動詞「走る」「踊る」についても,その無意志性を「さ」が示すことを,人以外の無意志の動物(年魚子,きぎし)が主語であることによって示した。
出典:國語學 國語學 52 (3), 92-93, 2001-09-29 日本語学会 「上代の接頭語「い」「さ」の機能について」日野 資成
つまり「さ」については意志を持たない行動を示すための動詞・形容詞の接頭語として用いられた歴史があるようです。すなわち人の意志ではなく「さ」の神の意志と説明することもできそうですね。ちなみに「い」という接頭語についても同出典では語られており、こちらは意志性を持つことに用いられたようです。
幸御魂という神の霊魂の存在
(2024年11月3日追記)
最近ひょんなことから和魂 (にぎみたま)という言葉を知りました。
和御魂とも書く。日本の神霊観の一つ。荒魂(あらみたま)に対していう。神霊は異なる霊能をもつ霊魂の複合によってはたらくという信仰のあらわれで,和魂は主として神霊の静的な通常の状態における穏和な作用,徳用をさす。これに対して,荒魂は活動的で勇猛,剛健な作用をさしていう。人の日常の行為にも平静と活動との二面があるが,その作用をおこさせる原動力は個別に存在するものと考えられ,神霊も平常のときには一つの神格に統一され別個のはたらきは見せないが,時と場合に応じて分離し,単独に一個の神格としてはたらくものと信じられたのである。そこで,神をまつるにあたっても,和魂だけをまつる場合も,荒魂だけをまつる場合もある。
出典:コトバンク 原典:株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」
この和魂にはさらに2つの性質があるそうです。それが「幸魂(さきみたま)」と「奇魂(くしみたま)」というものです。
さき‐みたま【幸御魂】
人に幸福を与える神の霊魂。さきたま。さちみたま。
[初出の実例]「幸魂、此れを佐枳彌多摩(サキミタマ)と云ふ」(出典:日本書紀(720)神代上)出典:コトバンク 原典:精選版 日本国語大辞典
くし‐みたま【▽奇し▽御▽魂】
神秘な力をもつ霊魂。また、そのような霊魂の宿るもの。出典:デジタル大辞泉(小学館)
さて、ここで注目したいのが幸御魂の「幸」の字の読みが「さき」であると同時に「さち」でもあるということです。
文書としての初出が720年ということで言語の発達の歴史からすると恐らく比較的現代の用例となります。しかしこれが私たち日本人の言葉の日常から用いられたものだとしたら重要な証拠となるのではないでしょうか。すなわち
「さき」であることが「さち」と同意
であったということです。
先述の「『さ』は先を示す」の項で申し上げたように、「先(さき)」は「瑞々しく」、それがゆえに生命の象徴であり、「幸(さち)」に通じると捉えることができます。そういえば「咲く」も実りの先駆けとしての花の価値を言いあらわしていますね。
神に助けを求める「左」
(2024年11月16日追記)
ここで冒頭に述べた「注連(しめ)縄」を思い出してください。神棚の「左」に注連縄の頭が来るように飾ると申し上げました。また「左大臣」の「左(さ)」は優位性を示しています。これついて新たな情報を得ることができました。
「左」の文字は「神」に助けを求める「左手」の役割から成立しているそうです。
ナと工とを組み合わせた形。ナは左のもとの字で、左手の形。工は神に仕える人が祈りごとをする時に持つ呪具(まじないの道具)。左は左手に神を呼ぶ道具を持って、「神様どこにいらっしゃいますか」と呼びかけ、神の居場所をたずね、神の助けを求めることをいう。「ひだり、たすける」の意味となる。
天皇が南を向くと日の出る東が左
(2024年11月16日追記)
前項では左手が神に近い存在であることが示されています。それはなぜでしょう。それは「日の出」の方角と関係があるようです。
大昔から日本には「左が神聖、右が俗世」(左上右下)という考え方があり、中国から伝わったとも言われています。また「天子南面」といって、北を背にして天皇が南をむくと、日が昇る方が東で左、日が沈む方が西で右となり、陰陽道の左を陽、右を陰とする考え方にもつながります。
「さ」は太陽信仰から
(2024年11月16日追記)
前項の「中国から伝わったとも」言われる「左が神聖、右が俗世」についてその根拠を示す情報も見つけました。
中国の神話では,盤古という神の左目から太陽が生まれたとされ,日本神話でも,太陽を神格化した天照大神はイザナギが左目を洗ったとき,ないし左手で鏡を持った時に生まれたとされている。
まさに 先んずるよろこびを示す「先」。その結果旬の瑞々しい「幸」を得られる。それは「左」にある「日の出」によってもたらされる。「さ」の神はまさに太陽信仰から 生まれたものだったようです。
しかし、ここまでたどってもなお疑問として残るのが、なぜそれが「さ」という発音に代表される言葉なのか。
もしかしたら、あの段の「左(さ)」、うの段の「右(う)」は「『あ』『うん』」の呼吸とつながらないでしょうか。まだまだ謎解きは深められそうですね。
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