お疲れ様はお憑かれ様!?代わりに使える言葉を考えてみた

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「憑かれる」に通じる忌み言葉

俳優の高橋一生さんがTBSテレビの「ぴったんこカン・カン(2018年3月9日金曜日よる8時)」で「お疲れ様」という言葉についてお話しされていました。

それによると「お疲れ様」は「憑かれる」に通じ、相手にとってよくない影響が及ぶので使わないようにしているというものでした。日本の伝統芸的なことを教えてくださる方から学んだそうです。以来高橋さんは「お×〇◇△=%」と小声で発し胡麻化しているとのことでした。

たしかに文字誕生期の「甲骨文字」が占いの手段に用いられたことや、「言葉」には「言霊」があると言い慣わされていることなどをみると、文字や言葉に霊性や呪術性は存在するのでしょう。

また「狐憑き」などに代表される動物霊や生霊・死霊などの憑依を恐れる文化は古えの書物をたどるまでもなく、節分の豆まきや滝行(禊)などにみることができます。

「お疲れ様」が「憑かれる」の連想から忌み言葉に分類されてしまうことに納得する方は少なくないでしょう。もちろん僕もその一人です。

 

「お憑かれ様」と「胴上げ」

「お疲れ様」と日本の文化について、もう少しみていきましょう。

突然ですが、入学祝いや優勝祝いなどで行う「胴上げ」にはどんな意味があるかご存知ですか。NHKの「チコちゃんに叱られる!」で興味深い説が披露されていました。

胴上げは異常な状態の人をシラフにするため(諸説あり)

出典:NHK総合「チコちゃんに叱られる!」2018年4月13日午後7時51分~放送

稲作では収穫した穀物などを箕(み)で宙に放り上げ、殻やゴミを空気の抵抗で飛ばすことをしていました。これが異常なものを払う概念に結びつき「胴上げ」に転じたようです。つまり祝うべきハレの状態は異常であり、これを正常な状態に戻すために「胴上げ」がはじまったというわけです。

ここからそらよりが想像したのは「祝うべきハレの状態」とは「ついてるね、乗ってるね」の「ついてる状態」のことではないか。つまり「憑いてる状態」です。幸運の神(憑き物)のおかげで物事を成し遂げ、その結果「祝うべきハレの状態」になったのではないでしょうか。

そう仮定すると「お憑かれ様」には

 憑き物のおかげで物事を成し遂げ、その結果「祝うべきハレの状態」にある人に対して本来胴上げするべきであるが「お憑かれ様」の言葉に代えて労う

という意味がありそうです。

そう仮定すると「お憑かれ様」はそれほど忌まわしいものではないようにも思えます。また「お憑かれ様」は

「胴上げ様」

と言い換えることができそうです。

とはいえ現在のところ「胴上げ様」は一般的な用語ではありません。

「お疲れ様」はとても便利で、僕も日常的に使っていました。でも「お憑かれ様」を気に掛ける方がいらっしゃる(前述のようにたとえよい意味を含んでいたとしても)としたら考慮する必要がありそうです。かといって高橋一生さんのように毎度言葉尻を濁すのも気持ちがわるい。

「お疲れ様」に代わるよい言葉はないでしょうか。この記事では従来用いられてきた言葉の中から代替案を導き出したいと思います。

 

そもそも「お疲れ様」とは

まず普段そらよりが使っている言葉をマッピングし「お疲れ様」のおよその位置を確認してみましょう。

「お疲れ様」は「気遣い」

「お疲れ様」は相手をおもいやる言葉です。自分と他人(ときに自分)の間に何らかの関係性を発生させます。あるいは発生後に発声される言葉です。

下の図をご覧ください。これは「気遣い」のシーンを感情の強弱(縦軸)と時間経過(横軸)で分割し、その中心に「お疲れ様」を置いたものです。

すべての「気遣い」のシーンを「お疲れ様」で網羅しようというわけではありません。「お疲れ様」を中心に置いたとき周辺にどんな言葉があるのか、それによって「お疲れ様」のポジションをみてみようという趣向です。

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縦軸は相手との関係性の「遠近」を表すものでもあり、上が「パーソナル」、下が「オフィシャル」をそれぞれ指向しています。

また横軸は「応援」からスタートし、様態の変化とともに「労い」、さらに「感謝」へと心境が変化することを示しています。

「頑張れ」と「ありがとう」の中心

「お疲れ様」は縦軸において感情の強弱(関係性の遠近)がほぼフラットな位置にあるとします。

横軸においては出来事の終了後のみならず進行中にも掛ける言葉であるため「応援」と「労い」の双方の意味を含むものとします。

興味深いことに横軸では「応援」を象徴する「頑張れ」と「感謝」を象徴する「ありがとう」の中心に位置することがわかりました。

「お疲れ様」の四つのシーン

「お疲れ様」がなぜ便利なのか。それはすべての「気遣い」のシーンで通用し得る点にあります。作図において中心に置いても、検証結果に無理がないのです。

[シーン1]「応援」段階の「パーソナル」領域:左上
「お疲れ様(です)」は出来事の進行中において相手に気持ちよく取り組んでもらうための親しみを込めた「応援」として機能します。相手は自分により近しいひとです。

[シーン2]「応援」段階の「オフィシャル」領域:左下
「お疲れ様(です)」は出来事の進行中において相手に不快感を与えないための儀礼的な「応援」として機能します。あるいはまったく関係性のないひとに対し単なる挨拶として機能します。その際の感情は他人事としての冷めた要素を含む場合があります。
ここでとても日本的だなと思うのは、他人事としてとらえていても、社会のために同時代に働く同士として「応援」の意味で「お疲れ様」と声をかけていることです。縦の感情軸「オフィシャル」でたとえ「最弱」の位置づけであったとして「お疲れ様」という「労い」の言霊が宿っている。感情がゼロにならずとどまるところが日本のこころであり、誇るべき美徳ではないかと思います。
※便宜上「応援してます」「期待してます」を置いていますが、もちろんシーン1においても使用します。ただ近しいひとにはもう少し熱量のある言葉をかけるという意味で僕の場合左下に置きました。

[シーン3]「労い」段階の「パーソナル」領域:右上
「お疲れ様(でした)」は出来事の終了後においてそれまでの頑張りを癒すための親しみを込めた「労い」として機能します。相手は自分により近しいひとです。その際の感情は私事(わたくしごと)としての共感の要素を含みます。

[シーン4]「労い」段階の「オフィシャル」領域:右下
「お疲れ様(でした)」は出来事の終了後においてそれまでの頑張りを評価する儀礼的な「労い」として機能します。
※便宜上「ご苦労様(でした)」や「お骨折り・ご尽力」を置いていますが、もちろんシーン3においても使用します。ここではより公的なシーンを想定し配置しています。

さて、これをどのような言葉に置き換えることができるでしょうか。

 

感情軸の時間をスライドさせる

じつはこのままでは「お疲れ様」に代わる言葉を見つけるのはとてもむずかしい。でも自分の態度を変化させてみるとすでに答えがあることに気付きます。

 

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僕は時間軸において「労い」段階の言葉として「お疲れ様」を使っています。これを少し「感謝」の段階へと時間進めてみました。するとそこには「お世話様」がありました。

つまり「労い」イコール「感謝」の言葉として「お世話様」を使えば、十分にその意が伝わるというわけです。

また「応援」段階においても「お世話様」は通用します。出来事が終了していないからといって「感謝」されることに不快感を覚えるひとはいないでしょう。「お世話様」は将来の「感謝」を引き寄せる(招き入れる)引力を持つ言葉として働くはずです。

感情軸の「強弱」(関係性の「遠近」)においてフラットな部分に注目すれば、「頑張れ」や「ありがとう」の間に「お疲れ様」だけでなく「お世話様」が存在しています。これもじつは使い勝手のよい言葉なのです。

お世話様の四つのシーン

念のため、前掲のマッピングを言葉を入れ替えて検証してみましょう。

[シーン1]「応援」段階の「パーソナル」領域:左上
「お世話様(です)」は出来事の進行中において相手に気持ちよく取り組んでもらうための親しみを込めた「応援」として機能します。相手は自分により近しいひとです。

[シーン2]「応援」段階の「オフィシャル」領域:左下
「お世話様(です)」は出来事の進行中において相手に不快感を与えないための儀礼的な「応援」として機能します。まったく関係性のないひとに対してはむしろ単なる挨拶にとどまらず好感度を高める言葉として機能します。
「お世話様」は「お疲れ様」より、さらに日本的です。他人事としてとらえていても、社会のために同時代に働く同士として「応援」の意味で「お世話様」と声をかけることにどんな意味が生じるでしょう。縦の感情軸「オフィシャル」でたとえ「最弱」の位置づけであったとして「お疲れ様」にはなかった直接の関係性に言及する「お世話様」の言霊が宿ることになります。つまり現在は利害関係のない他人であっても、巡り巡っていつかは自分の利となる未来への期待が込められることです。感情がゼロにならず縁者としてとらえるところが日本のこころであり、「お疲れ様」以上に誇るべき美徳ではないかと思います。

[シーン3]「感謝」段階の「パーソナル」領域:右上
「お世話様(でした)」は出来事の終了後においてそれまでの頑張りを癒すための親しみを込めた「感謝」として機能します。相手は自分により近しいひとです。その際の感情は私事(わたくしごと)としての共感の要素を含みます。

[シーン4]「感謝」段階の「オフィシャル」領域:右下
「お世話様(でした)」は出来事の終了後においてそれまでの頑張りを評価する儀礼的な「感謝」として機能します。

 

結論

「お世話様です」「お世話様でした」もじつは万能でした。そして「お疲れ様」よりあたたかい日本のこころが宿っていました。

「お疲れ様」の代わりに「お世話様」を使いたい

僕は強く思いました。

なおこれは個人的なマッピングです。「お疲れ様」に代わる言葉はそれぞれあってよいでしょう。でも、ぜひ一度使ってみてください。ちょっと晴れやかな気持ちになれるはずです。

 

2018年3月20日追記:

その後、すべてがそっくり「お世話様」に代替えできるわけではないことに気付きました。相手に対し「同情」の意が強い場合は一部「ご苦労様」のほうが適切でした。

たとえばつぎの記事の締めの文章。明らかに「お世話様」では無理があります。

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そこで

「お疲れ様」は「お世話様」と「ご苦労様」の二つでカバー

とするのがよいようです。

 

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